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家紋コラム

毎月10日・20日・30日は
家紋入りアイテムを全品10%割引いたします。
当店側にてご注文確認後、手動にて割引処理をさせていただきます。


■ 【家紋の歴史】 ■ ■ 【家紋の読み方と調べ方】 ■
■ 【片喰・かたばみ】 ■ ■ 【鷹の羽・たかのは】 ■
■ 【木瓜・もっこう】 ■ ■ 【菊・きく】 ■
■ 【桐・きり】 ■ ■ 【藤・ふじ】 ■
■ 【梅・うめ】 ■ ■ 【月星・つきほし】 ■
■ 【目結・めゆい】 ■ ■ 【桔梗・ききょう】 ■
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■ 【杜若・かきつばた】 ■ ■ 【傘・かさ】 ■
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■ 【亀甲・きっこう】 ■ ■ 【【斎藤道三・さいとう・どうさん】 ■

日本家紋研究会
  会長 高澤 等 (たかさわ ひとし)

1959年生まれ。埼玉県飯能市出身。
前会長千鹿野と共に永年家紋の収集・研究を続ける。家紋研究だけでなく日本古来の風習風俗から古典、戦国武将まで日本史全般を視野に入れて執筆する。家系研究協議会の理事でもある。

著書に『家紋の事典』、『苗字から引く家紋の事典』『戦国武将 敗者の子孫たち』ほか。
月間歴史読本に『家紋拾遺譚』を連載、時事通信社より全国新聞紙に『家紋歳時記』を連載、月刊ジパング倶楽部に『家紋』を連載など。


主な仕事実績(2015/05 迄)

2008/01 『月刊歴史読本』連載「家紋拾遺譚」 全72回
2008/05 『家紋の事典』東京堂出版
2008/10 東京ミッドタウン DESIGN GARDEN Tシャツデザインコンテスト特別審査員
2009/01 日本野鳥の会 会誌『野鳥』1月号新春特集企画「紋に見る日本人の自然観」
2009/01 時事通信 通年連載コラム『家紋歳時記』 2009/1.1~12.31
2010/01 『月刊歴史読本』特集「日本の苗字」 
2010/01 『ジパング』連載「家紋」 2010/01~12
2010/09 フジテレビ『朝ズバ!』「政府が用いる桐紋について」
2011/01 『苗字から引く家紋の事典』東京堂出版 
2011/05 『新・信長公記』ブイツーソリューション
2011/06 『歴史REALVol.3』「戦国大名の家紋図鑑」
2011/06 茨城県県北生涯学習センター 講座「家紋を知る」全5回 
2011/08 『イラスト図解 家紋』日東書院本社 
2011/11 『家紋歳時記』洋泉社 
2011/12 八王子市生涯学習センター 講座「家紋を知る」全3回 
2012/01 『THE BEAUTREC』特集「家紋」 
2012/05 『日本の苗字』新人物文庫 
2012/05 NHK文化センター柏教室 講座「家紋を学ぶ」全5回
2012/09 『家紋のすべてがわかる本』PHP研究所 
2012/10 『戦国武将 敗者の子孫たち』洋泉社 2012/10
2012/10 『日本経済新聞』文化欄「家紋が語る先祖の本音」
2013/03 『歴史人』特集「戦国武将の家紋の真実」
2013/05 八王子市生涯学習センター 講演「戦国武将の家紋」
2013/10 茨城県県北生涯学習センター 講座「織田信長を学ぶ」全5回 
2013/12 『一個人』特集「日本人の名字と家紋の謎」
2014/01 名古屋テレビ『あるコトないコト』桐紋について
2014/01 『別冊歴史人』特集「戦国武将の家紋の真実」
2014/03 新宿歴史博物館 講座「家紋の基礎知識と家系」
2014/05 『週刊ポスト』「日本人なら知っておきたい家紋の秘密」
2014/06 『一個人別冊』「 日本人の名字と家紋1000」
2014/03 新宿歴史博物館 講座「家紋の基礎知識と家系」(再)
2014/06 『別冊宝島』「一千年の歴史探訪 家紋と名字」宝島社
2014/10 西葛飾清新町コミュニティ会館 講座「家紋の知識と家系」
2014/10 朝日カルチャーセンター千葉 講座「家紋の歴史と家系」全3回
2014/12 『月刊歴史読本』「雪の殿様・土井利位と雪の家紋」
2015/03 『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』稲垣栄洋著(家紋監修)
2015/05 生涯学習センター川口分館 講座「幕末の志士・大名家・新選組の家紋」全2回

【家紋の歴史】

毎月10日・20日・30日は家紋入りアイテムを全品10%割引いたします。
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【家紋の歴史】


 家紋は日本独自のもので、現在では名字と同じく国民すべてが持つことができる紋章文化です。家紋が始まったのは今から約千年前のことです。その頃、大納言だった藤原実季(ふじわらのさねすえ)という公家が、自分が乗る車に三つ巴の文様を付け、それが西園寺家に代々伝えられて家紋となったものが最初です。

 家紋が始まるとすぐに貴族の間に拡がり、様々な記録にも表れるようになります。モチーフとされたのは植物、動物(鳥や虫も含む)、物品、文様、文字など多種多様なものが対象となりました。その中には大陸から渡ってきた文様もあります。

 貴族に始まった家紋は、やがて武士も使い始めます。源平合戦の頃には両軍白旗と赤旗に分かれて戦っていましたが、平家が滅び鎌倉幕府が成立すると、それぞれが独自の文様を旗に描いて、これが家紋となりました。室町時代以降の戦いでは、敵味方にさまざまに家紋が描かれた旗がひるがえりました。江戸時代になると戦いの無い時代となり、家紋も戦場から殿中での重要性が増しました。

 庶民が家紋を使うようになったのは室町時代からです。当時、京都の街並みを描いた絵には、商店の暖簾にも家紋が描かれていることが解ります。名字と家紋は一対になるもので、名字を持つ家では必ず家紋も持っていました。ですから明治時代になり、すべての国民が名字を持つと同じように家紋も用いられるようになったのです。

 家紋には約300ほどの種類があります。その300種類のカテゴリーの中に様々に変形した紋形があり、すべての家紋の総数は5万以上あるのではないかと思われます。まさしく世界に誇るべき紋章文化だと思います。

【家紋の読み方と調べ方】

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【家紋の読み方と調べ方】


 長い歴史を持つ家紋ですが、現代では冠婚葬祭などで用いられる以外では滅多に目にすることがありません。いざ家紋を目にしても、名称などは解らないでしょう。家紋の一般的なルールとしては、外から内に向かって順番に読んでゆくと間違いがありません。家紋名には正解というものはありません。紋帳などに付けられている紋名も、職人が間違わないよう業界内で便宜的に付けられているものです。

 さて紋帳を見ても自分の家の家紋が掲載されていないという方は多いと思います。紋帳では約5千ほどの家紋しか掲載されていませんが、実際はその10倍くらい家紋があります。つまり全体の1/10くらいしか紋帳には出ていないことになります。もし自分の家紋が解らなければ、御先祖様から受け継いできた墓を確認するのが早道でしょう。あるいは両親、祖父母の紋付があれば、それも確認して下さい。そして親類縁者や疎遠になっている遠縁に聞いてみるのもよいと思います。

【片喰・かたばみ】

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【片喰・かたばみ】


 片喰紋は鷹の羽紋と並んでもっとも多く用いられる家紋です。その均整の取れたデザインは家紋の中でも完成度の高い美しさがあります。バリエーションも豊富ですが、特に「丸に剣片喰」は非常に多く使われています。

 カタバミの名は、茎や葉に蓚酸を含み、噛むと酸味があることから酢漿草と書かれたともいい、また夜になると葉を閉じて片葉になり、半分食われたようにみえることから片喰、あるいは片葉が3枚であることから片葉三から片喰となったとも、様々な説があります。日本中、どこでも目にすることができる雑草ですが、意外にも大納言だった源顕雅(みなもとの あきまさ)という位の高い貴族が使い始めた歴史ある家紋なのです。武家で有名なのは徳川譜代の酒井家、戦国時代は土佐国の長宗我部氏や備前国の宇喜多氏が用いました。

 よく「踏まれても踏まれても生き抜く生命力から、子孫繁栄を意味する家紋」とも言われますが、それは後から考えられたイメージでしょう。

【鷹の羽・たかのは】

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【鷹の羽・たかのは】

 鷹の羽は古くから矢を制御するために付けられる羽根として用いられました。武人の生き方を「弓矢の道」と言うように、矢は武人のシンボルであり、同様に鷹の羽も武人を象徴する物品でした。ですから家紋としての鷹の羽紋も武を象徴するモチーフなのです。

 鷹の羽紋は熊本県の阿蘇神社の神紋として有名です。鎌倉時代に元寇の襲来の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』の中で、九州の豪族菊池次郎武房の旗紋として描かれています。菊池氏の初代則隆(のりたか)は、夢の中で阿蘇神社の神託を受けて鷹の羽紋の付いた幕を授けられたという伝説があります。この伝説を信じるならば、菊池氏は平安時代末期から鷹の羽紋を使用したということになります。阿蘇神社の宗教的な意義と矢羽根としての尚武的な意義を持つ家紋と云えるでしょう。

 多くの武家が好んで用いたため、現在では片喰紋と並び非常に多い家紋です。江戸時代には安芸国広島藩浅野氏、備後国福山藩阿部氏など大名にも多く用いられました。

【木瓜・もっこう】

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【木瓜・もっこう】


 木瓜とは大陸から渡ってきた古典的な文様で、御簾(みす)の上部につく絹織物の帽額(もこう)に付けられた長円形の文様で、その名に因み木瓜(もっこう)と呼ばれました。以前は木瓜という文字からボケの花であるとか、木瓜を「きうり」と読んでキュウリを輪切りにしたものだとか云われましたが、これらは俗説に過ぎません。一般に四つ割りのものを木瓜、五つ割りを窠(か)と言います。窠は五瓜(ごか)とも云いますが、また別項でお話しします。

 木瓜紋は日下部(くさかべ)氏、伴氏、紀氏という、大変古くから活躍した一族が用いました。また鎌倉時代になると伊豆から興った伊東氏や工藤氏も用い、どの氏も諸国で一族が繁栄したために、全国でも非常に多い家紋の一つとなりました。戦国武将では越前の朝倉氏、日向国で島津氏と戦った伊東氏、信長の家臣だった滝川一益、江戸大名では佐倉藩主堀田氏などが用いています。

【菊・きく】

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【菊・きく】


 菊は、中国の長江上流にある甘谷(かんこく)という土地に群生し、菊の露が流れ込んだ水を飲むと長寿を得るという伝説から不老の花として貴ばれました。『万葉集』には菊を詠み込んだ和歌が一つも無いことから、日本への渡来は奈良時代末期以降ではないかと推測されています。

 菊は天皇家の紋章として日本人にとっては特別な家紋となっています。天皇家が菊を家紋としたのは、後鳥羽天皇(1180~1239)がことのほか菊花を愛好し、自ら打った刀に菊紋を刻んだことに始まるとされています。

 武家では、めざましい勲功があった人物に対して、天皇家から桐紋と共に下賜されることがありましたが、歴史上、臣下・庶民は使用を遠慮する家紋でした。しかしまったく菊紋が使われなかったわけではありません。天皇家のような菊単体の家紋は、使用する家もあまりありませんでしたが、水を添えた菊水や、葉を添えた紋形などを使う家は少なくありませんでした。

 明治維新となり、天皇家の権威が復活すると、前大戦終結までの間、天皇家以外での使用は法律で禁じられていましたが、現在は法的には禁止されていません。天皇家の家紋は、正式には「十六葉八重表菊」という名称です。

【桐・きり】

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【桐・きり】


 中国において桐は、皇帝の象徴である鳳凰が止まる吉祥の木で、中国でも日本でも、もっとも高貴な植物とされています。普段の生活で桐という植物を見ることは滅多にありませんが、500円硬貨に刻印されているので、いつでもその姿を見ることができます。日本では、天皇が身につける黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)にも描かれたことから、次第に天皇家の紋章と認識されるようになったようです。

 天皇家がいつ頃から桐紋を用いていたのかは不明ですが、足利家や豊臣家など政権を担当する家に下賜されました。近代以降も天皇が任命した内閣総理大臣が組閣した内閣は、慣例的に桐紋を紋章として用いています。

 天皇家から直接下賜される場合は五七桐、下賜された桐をさらに家臣に下賜する場合は五三桐を使います。つまり桐紋には明確に「格」が存在しているのです。明治時代の大礼服も、天皇が直接任命した高官は五七桐が付けられ、推薦などによって官に就いた者の大礼服には五三桐が付けられました。

 歴史上、桐紋を用いた人物でもっとも有名なのは豊臣秀吉です。秀吉が天下を平定しら功績により、天皇家から下賜されました。秀吉は独自にアレンジを加えたものも用い、それは太閤桐と呼ばれました。桐紋は非常に多く用いられ、江戸幕府に仕えた武士では20%の家で用いられていました。現在も非常に多い家紋の一つです。

【藤・ふじ】

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【藤・ふじ】


 藤はマメ科の植物です。万葉集では26首に藤の花が詠まれています。文様としては有職文様として公家の装束に多く織り込まれました。藤紋は大化の改新以降、貴族社会を支配して最大の氏族となった藤原氏を象徴する家紋です。しかし藤原氏の嫡流と云われる近衛家は牡丹紋を用いていました。江戸時代の公家で見てみると、藤原系の公家97家の内で藤紋を用いるのは、わずか7家と一割にも足りません。九条流の藤原氏は藤紋を用いていますが、九条家も元々は牡丹紋を用いていましたから、公家の藤原一族は、当初ほとんど藤紋を使っていなかったということです。

 むしろ藤紋は藤原氏の家系図から分かれ、遠く離れた子孫たちが、自分たちが藤原氏の子孫であることを示すために用いることが多かったようです。

 武家では前九年の役(1051~1062)を描いた『前九年合戦絵詞』の中に、安倍宗任を守る楯に藤巴が描かれているのを見ることができます。また名字に「藤」の文字を用いる家で使用されることが多いようです。

 藤は美しい紫の花房を垂れ下げますが、「下がる」という言葉が運気を下げることに繋がるとして、不自然ながらも下から上に花房を描くこともあります。藤原氏の繁栄を物語るように多く用いられる家紋です。

【梅・うめ】

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【梅・うめ】


 梅は8世紀中頃日本に渡来し、大陸文化への憧れと共に日本人に愛好されました。内裏の紫宸殿の前に植えられている「右近の橘、左近の桜」も元は桜ではなく梅が植えられていました。『万葉集』では、桜を詠んだ歌は43首ですが、梅は110首も詠まれており、当時の日本人がいかに梅好きだったかが分かります。

 家紋の梅紋は、平安時代の貴族で、学問の神様とも云われる菅原道真(すがわらのみちざね)に深い関わりを持っています。道真は若い頃から梅の花を好み、自邸に植えた梅を慈しみました。しかし道真が九州太宰府に左遷されると、悲しんだ梅が一夜の内に太宰府まで飛んでいったという「飛び梅伝説」があります。

 そして道真の死後、都では天変地異が立て続けに起こり、特に落雷の被害が多く出ました。人々は道真の祟りであると恐れ、雷の神様である天神に道真の霊を祀って、その霊を慰めました。そうした経緯から全国の天神社は、道真が愛好した梅を神紋としています。

 梅紋は天神と菅原道真を象徴する家紋として、道真の子孫や天神社の氏子などが多く家紋として用いています。公家では高辻氏、唐橋氏、清岡氏、桑原氏、東坊城氏など菅原一族が用い、武家では加賀百万石の前田氏、相良氏、久松松平氏や美作菅家党などが代表的です。

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