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「守護梵字」について

守護梵字について

弘法大師「空海」が伝来させて密教と密接な結びつきがあり、古代サンスクリット語に基礎にもなっている文字です。

密教の世界は曼荼羅に集約されるように大日如来を中心として仏の意思が宇宙を貫き、宇宙そのものの体言を表したものです。

即ち、そこに描かれた仏菩薩や神々の色、形・位置・持ち物など全てが宇宙の真理とシンボライズしており、それを目で見ることにより人間は宇宙の真理との交流を体験できるという、極めてダイナミズムな世界です。

梵字の事を悉曇(しったん)文字、または種子(しゅじ)とも言い、曼荼羅を文字で表現したものが種子曼荼羅です。

寺院、大師などでは昔から、経文、護摩札、卒塔婆など仏教上の特別な権威ある象徴として見る者に強いインパクトを与えております。

彫銀ではこの守護梵字をモチーフにした製品に拘り、そして自信を持って制作しております。

守護梵字入りのアイテム一覧


・子(ネズミ)年生まれ

  【千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)】

 千の慈眼と慈手で一切の悩みを救い、願い事を全て叶えて下さるという観音様です。

・戌(いぬ)亥(いのしし)年生まれ

  【阿弥陀如来(あみだにょらい)】

 大慈悲に浴して、一切の苦難災難を逃れ、又福徳長寿が授かります。



・丑(うし)、寅(とら)年生まれ

  【虚空増菩薩(こくぞうぼさつ)】

 すべての福徳と知恵を授け、特に記憶力向上、厄除け症病回復にご利益のある仏様です。


・卯(うさぎ)年生まれ

  【文殊菩薩(もんじゅぼさつ)】

 知恵の仏として学業の功徳が顕著。苦労や災難を五知の県で断ち、幸福を招いてくれます。


・辰(たつ)、巳(へび)年生まれ

 【普賢菩薩(ふげんぼさつ)】

 文殊菩薩と共に釈迦如来の脇士とし白象に乗った菩薩です。長寿を授けてくれます。


・午(うま)年生まれ

 【勢至菩薩(せいしぼさつ)】

 阿弥陀の脇士として慈悲と知力を象徴し、邪気を払い、進路を開き、福徳長寿を授けます。


・未(ひつ)、申(さる)年生まれ。


 【大日如来(だいにちにょらい)】

 あらゆる災厄苦難を除き、将来への道が明るく開けるよう、福徳と長寿を授けます。


・酉(とり)年生まれ。


  【不動明王(ふどうみょうおう)】

  全ての災難を除き、光明の道へと導いて福徳を授けてくれます。


【大日如来(だいにちにょらい)】
(八葉院の中心に位置する仏)

 この如来を尊崇すればあらゆる霊徳を得られるとされる。
 真言を唱えれば一切の病は癒え、また妊娠している人は無事安産出来るといわれております。

「梵字と密教」について

梵字と密教について

密教の根本教典が有名なのは「大日経」(正式名称を「大毘廬遮那成仏神変加持経」)と 「金剛頂経」(正式名称「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」)の2つです。

通常、仏教の教典は仏陀である「釈迦」が説法したものをまとめたものですが、 密教教典の大きな特徴は教典の説き手が「大日如来」であることです。



その「大日如来」の本質と活動を示しているのが、金剛界、胎蔵界、二つの曼陀羅です。

「大日経」が世界に生きる者は「大日如来の理性」において、平等である世界-胎蔵界を明らかにしているのに対し、 「金剛頂経」では大日如来の知恵の世界-金剛界を明らかにしています。

その悟りの内容を具体的に示したのが曼陀羅です。
また、曼陀羅は諸尊を種子(梵字)一字で表したものもあり、そういう意味では教典も曼陀羅の一種とみなされます。




曼陀羅の世界を体得する悟りの境地とは、即身成仏です。

荒行を積んだ行者が「阿闍梨」の許可を得て、三密の行(身体・言語・精神)に入ります。
本尊の前に座し、手に印相を結び、口に真言を唱え、精神を集中させて本尊を観想し両者が一体に解け合うまで修行します。

そのようにして行者は、父母から受けたその身体のままで、現世において悟りを得ます。
すなわち、即身成仏です。

その過程の多数の瞑想の中で梵字を利用した瞑想「阿字観」があります。
阿字観とは、梵字の阿字を観想し、阿字の中に我有り、我の中に阿字ありといったさまざまな観点から瞑想を行う修行です。




「阿字」とは・・・・・生まれてないもの、生まれなきもの、つまり他者によって生み出されたものでもなく、 また自己によって生み出されたものでもない時間も空間も超越した存在を表す梵字です。




よって「阿字」はあらゆる梵字を代行する事ができる梵字です。
阿字観の修行を一歩進めて「阿字」を心の中に観じた後、 この阿字を変化させ自分が思い描きたい仏の種子(梵字)に変化させて行きその梵字を通じて、 おのおのの仏について観想するこれが悟りの境地(三摩地)に導かれて行くのです。




また、「阿字観」を始める前に「九字」と呼ばれる邪念を祓う技法があります。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の真言を唱えつつ、すばやく印相を結びあるいは、 手刀により空間を縦横に切り邪を祓います。

その他お馴染みの「護摩」「祈祷」「不動金縛り」などの修法があります。




すべての宗教にとっての最も重要なテーマが「煩悩をどう扱うか」である。

密教では人間的な欲望もまた宇宙生命につながるものとして、全面的な否定はしません。

煩悩を含んだこの現実世界のすべてを肯定しその中に理想形態を見出し、 現実世界の中に絶対の世界を実現するのが密教の理想なのです。

守護梵字入りのアイテム一覧

「孫子」について

孫子について

中国の代表的な兵法書。全十三編
春秋時代の斉の人物「孫武」の著であると史記は伝えています。

日本でも孫子の兵法として広く知られ、古来より孫子を愛した名将は数多くおります。

三国志の英雄「曹操」、武田信玄、ナポレオンなどが有名です。

  <孫子> 謀攻編の一節

故曰、知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼、不知己、毎戰必敗。

故に曰く、彼を知り己れを知れば、百戦して殆(あや)うからず。
彼を知らずして己れを知れば、一勝一負す。
彼を知らず己れを知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。

「敵を知り己を知るならば、どんなに行動しても失敗する気遣いはいらない」

「自己を知り相手を知らなければ、成否の確率は五分五分」

「相手も自己も知らなければ、必ず失敗する」



<孫子> 軍形編の一節

孫子曰昔之善戦 者先為不可勝似 待敵之可勝不可 勝在己可勝在敵
故善戦者能為不 可勝不能使敵之 必可勝故曰勝可 知而不可為不可
勝者守也可勝者 攻也守則不足攻 則有餘善守者蔵 於九地之下善好
者動於九天之上 故能自保而全勝 也見勝不過衆人 之所知非善之善
者也戦勝而天下 曰非善之善者也 ○○○○○○○ ○○○○○○○

孫子曰く、昔の善く戦う物は先ずかつべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。

勝べじからざるは己れに在るも、勝べきは敵に在り。

故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして必ず勝つべからしむこと能わず。

故に曰く、「勝は知るべし、而して為すべからざる」と。

勝つべからざる者は守なり。勝つべき者は攻なり。

守は則ち足らざればなり。攻は則ち余り有ればなり。

[→守らば則ち余り有りて、攻むれば則ち足らず]

善く守る者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。

勝を見ることは衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり。

戦い勝ちて天下善なりと曰うは、善の善なる者に非ざるなり。

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<守備は攻撃よりも強力>

古代の巧みに戦う者は、まず敵軍が自軍を攻撃しても勝つことのできない態勢を作り上げた上で、敵軍が態勢になるのを待ちうけた。

敵が自軍に勝てない態勢を作り上げりのは己れに属することであるが、自軍が敵軍に勝てる態勢になるかどうかは敵軍に属することである。

だから巧みな者でも、敵軍が決して自軍に勝てない態勢をつくることはできても、敵に態勢を崩して自軍が攻撃すれば勝てる態勢をとらせることはできない。

そこで、「敵軍がこうしてくれたら自軍はこうするのに、と勝利を予測することはできても、それを必ず実現することはできない」と言われるのである。

敵が自軍に勝てない態勢とは守備形式のことであり自軍が敵に勝てる態勢とは攻撃形式のことである。

守備形式を取れば戦力の余裕があり、攻撃形式を取れば戦力が不足する。

古代の巧みに守備する者は、大地の奥底深く潜伏し、好機を見ては天空高く機動した。

だからこそ、自軍を敵の攻撃から保全しながら、しかも敵の態勢の崩れを素早く衝いて勝利を逃がさなかったのである。

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<勝利の軍は開戦前に勝利を得ている>

勝利を読みとるのに一般の人々にもわかるようなものがわかる程度では、最高に優れたものではない。

戦争して打ち勝って天下の人々が立派だとほめるのでは、最高に優れたものではない。


 
<孫子> 軍争編の一節

其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山 難知如陰 動如雷震

其の疾(はや)きこと風の如く 其の徐(しずか)なること林の如く
侵掠すること 火の如く 動かざること山の如く 知り難きこと陰の如く 動くことは雷の震うが如く


軍事行動は敵を欺くことを基本とし、利益に従って行動し、臨機応変の処置を取る。

その行動を例えると 疾風のように迅速に進撃し、林のように静まり返って待機し、火が燃え広がるように急激に侵攻し、山のように居座り、暗闇のように実体を隠し、雷鳴のように突然動き出す。

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孫子モチーフのアイテム一覧

「九字マントラ(真言)」について

九字マントラ(真言)について

「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前」の 九つの文字から成る密教の邪気を払う真言。 この九字の意味は『臨める兵、闘う者、 皆陣をはり列(烈)をつくって、前に在り』というものです。


【九字を切る】
まず手で刀を模した印「刀印」 を作り、「臨兵闘者皆陣烈在前」の掛け声とともに空間を縦四本、 横五本に切り邪気を祓います。


【九字の印を結ぶ】
「臨兵闘者皆陣烈在前」それぞれに対応した「印」があり、九字真言を唱えつつ、すばやく手による印を作ります。印は仏と修行者を結ぶしるしであり、神聖な力を宿しています。この印の力で内なるもの外なるものすべてに神聖な波動を送り邪気を祓います。この時、阿字観によって研ぎ澄まされた洞察力を駆使して印の意味を理解し体得した時こそ完全な力を発揮します。


「臨」
普賢三昧耶印
「兵」
大金剛輪印

「闘」
外獅子印 

「者」
内獅子印
「皆」
外縛印

「陣」
内縛印

「烈」
智拳印
「在」
日輪印

「前」
隠形印


「臨」 普賢三昧耶印 「兵」大金剛輪印
「闘」外獅子印 「者」内獅子印
「皆」外縛印 「陣」内縛印
「烈」智拳印 「在」日輪印
「前」隠形印の九印です。


修験道では九印に毘沙門天、十一面観音、如意輪観音、不動明王、愛染明王、正観音、阿弥陀如来、弥勒菩薩、文殊菩薩などを本地仏として配当する説がある。陰陽道に行くと、青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女、と唱えます。


歌舞伎の勧進帳の中の一場面。
富樫と弁慶の問答の中にも九字の真言が登場いたします。

「九字の大事は深秘にして、語り難き事なれども、疑念を晴らさんその為に、
説き聞かせ申すべし。それ九字の真言といつぱ、所謂、臨兵闘者皆陣烈在前の九字なり。将に切らんとなす時は、ただしく立って歯を叩くこと三十六度、先づ右の大指を以って四縦を描き、後に五横を書く。その時、急々如律令と呪する時は、あらゆる五陰鬼、煩悩鬼、まった悪魔外道死霊生霊、立ちどころに亡ぶること、霜に熱湯を注ぐが如し。実に元品の無明を切るの大利剣、莫耶が剣もなんぞ如かん。武門にとって呪を切らば、敵に勝つこと疑いなし。まだこの外にも修験の道、疑ひあらば、尋ねに応じ答へ申さん。その徳、広大無量なり。肝にゑりつけ、人にな語りそ、あなかしこあなかしこ。大日本の神祇諸仏菩薩も照覧あれ、百拝稽首、畏み畏み謹んで申すと云々、斯くの通り… 」

「曼荼羅」について

曼荼羅について
曼荼羅(mandala)とは、古代インドのサンスクリット語であり、
音写して漢字で「曼荼羅」「曼陀羅」と書きます。

(manda)→「本質」「心髄」「醍醐」などの意味

(la)→「所有」を意味



つまり曼荼羅とは「本質を持てるもの」の意味となります。

日本伝来の密教では「輪廻具足」と訳し、種々様々なものが車輪の様に雑然とではなく、
秩序整然と中心に向かって集まり円満に調和している意味とされていました。

すなわち、曼荼羅に描き出された各尊は、本質的なる中心(大日如来)の表れとされています。

彫銀の「曼荼羅シリーズ」は、下の2つの絵に、模様が似ていることから名付けられたものです。

「八葉」について

中台八葉院について


胎蔵界曼荼羅に描かれた中心部分。

大日如来(アーク)を中心に 宝幢如来、普賢菩薩、開敷華王如来、文殊菩薩、

無量寿如来、観自在王如来、天鼓雷音如来、弥勒菩薩の 四如来、四菩薩が描かれており、

大日如来の生命の動きを四如来が教え、 四菩薩が実践していくという

曼荼羅の神髄を表現したものである。

「金剛杵」(ヴァジュラ)について

金剛杵(ヴァジュラ)について

密教では、さまざまな儀式や修行に用いる武器や道具を、人間を法に導く器具すなわち「法具」と呼び、

普段の生活で使用される「道具」とは厳密に区別されています。


曼陀羅も「法具」の一種です。


その他代表的な「法具」に金剛杵(ヴァジュラ)があり、あらゆる煩悩を打ち破る堅固不壊の心を表示

するものです。

元来は古代インドの武器だったものが「法具」に転じました。


両端が五股のものを五鈷杵、三股のものを三鈷杵、一つの突起のものを独鈷杵といいます。

皆様も、川崎大師や成田山などの真言宗、天台宗の寺院で僧侶が説法の時などに必ず、手元に

置いてあるのをご覧になった事があるのではないでしょうか。

「四天王」について

四天王について


密教の宇宙観の象徴的なものに須弥山(しゅみせん)という山があります。

それによれば世界は風輪、水輪、金輪という途方もない大きさの円盤が重なった上に

須弥山という山が立っていて、山頂には帝釈天を始めとする

三十三の仏尊が住んでいるといわれています。

その高さは180万キロメートルあり、そのはるか上空には

何層にも渡って如来や菩薩の住む「天界」があります。


人間界は須弥山の裾のにある「閻浮堤(えんぶだい)」という島の一つにあり、

その地下には「八大地獄」が待ち受けています。

この密教的宇宙観の象徴である「須弥山」が100億集まって1枚の蓮華葉となり、

1000枚の蓮華葉からなる蓮華台に毘盧遮那仏(大日如来)が座しているという、

人智を超えたスケールの世界なのです。


その須弥山の中腹で、帝釈天の部下として、

須弥山の東西南北4つの門を守ると言われているのが「四天王」です。



北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守る 多聞天(毘沙門天 ベイ
東勝身洲(とうしょうしんしゅう)を守る 持国天 ヂリ
南贍部洲(なんせんぶしゅう)を守る 増長天
西牛貨洲(せいごかしゅう) を守る 広目天 ビー


古来より4強を意味する言葉でもあり威厳ある武人の姿である四天王は、

金剛杵(ヴァジュラ)を手に持ち、邪鬼(天邪鬼)を踏みつけたその姿は、

すべての邪悪な者を打ち負かすと言われています。

日本でも古来より各地で「四天王像」が作られ、如来や菩薩を守る守護神として崇められてきました。

東大寺戒壇院や法隆寺金堂の四天王像は、現存する最古の作例として有名です。

「阿吽」について


阿吽(あうん)について


阿吽とは梵字の始まり「ア」字と終わりの「ウーン」を 合わせたところから由来した言葉です。

「ア」と口を開け、「ウーン」で閉じる。

つまり物事の始めと終わり、ひいてはあらゆる万物を表す言葉として古来より使われてきました。

まさに密教的宇宙観の象徴とも言えるでしょう。

東大寺南大門の金剛力士像に代表されるように、寺の山門には口を開けた阿形、閉じた吽形、

一対の仁王像があり、神社の入り口には同じく一対の狛犬(獅子)が配置されています。

これは、あらゆる邪悪なものを退ける意味合いを持っています。

俗に「阿吽の呼吸」という言葉がありますが、これなども、「阿吽」という言葉から由来しています。

「龍」について


龍について

彫銀龍


龍の起源

龍は、インドの神話や中国の神話に登場する伝説上の動物です。

悪の化身とされている西洋のドラゴンとは全く異なり、東洋、 特に中国においては三皇五帝の神話から四霊(麒麟、鳳凰、亀、龍)として、あるいは皇帝始祖として、存在しました。

特に完成された「龍」は漢の高祖以来、歴代皇帝の象徴として宮殿、 玉座、衣服、その他美術品など「皇帝コレクション」に描かれています。

龍顔、龍車、などに天子まつわる漢語や物語も含め、 中国の龍は日本でもかなりお馴染みな存在となっています。



日本の龍

日本には、4~5世紀頃、神の使いとして 中国から伝来したと言われています。

蛇(おろち)信仰の地盤があった我が国では 当初から比較的抵抗なく受け入れられ、 雲雨を自在に操る水神として崇められ、やがて 四神(白虎、朱雀、玄武、青龍)となり、都の守護神として定着しました。


その後、時代を経るに従い神道だけではなく 仏教の宗教思想とも融合し「龍神」「龍王」として独自の神格化を遂げてきました。
ここで日本の龍が誕生したのです。


以来、日本の龍は画家や工人達の匠の心を捉えて離さない、最高の題材としてゆるぎない地位を築いてきました。



彫銀の龍

私共「彫銀」も、森羅万象を一切守護すると言われる、迫力ある「日本の龍」を目指しております。

そして、時代に媚びない最高の龍を大切にし、 皆様へ伝えて行く努力をしていきたいと考えております。



龍のつく用語

蛟 龍 未だ龍とならない蛟(みずち)、水中に潜み雲雨に乗じて天に昇る
臥 龍 野に隠れて世に知られていない大人物(特に諸葛亮 孔明を示す)
白 龍 天帝の使者、朝鮮で高位の龍
青 龍 四神の一つ
龍 門 登竜門、黄河中流山西、陝西両省の境、鯉がここを登ると龍になるといわれる
龍 鱗 老松の皮
龍 笛 昔々、龍の声を真似て作ったといわれる雅楽の横笛
龍 顔 天子の顔
龍 眼 天子の目
龍 車 天子の専用車





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