「織田信長」について

戦国時代の風雲児


安土桃山時代の戦国時代に一躍有名となった、戦国の風雲児です。
今日では最も有名で、最も人気のある戦国武将の一人とされる織田信長ですが、 その名前を世に轟かせたのは、今川義元を破った【桶狭間の戦い】でした。

幼少から青年時にかけて奇抜な行動が多く、周囲から尾張の大うつけと称されていましたが、 それは将来【種子島】と呼ばれ敵将から恐れられる「鉄砲隊」を組織した挿話などに繋がります。

また、その苛烈さを物語る詩として「なかぬなら殺してしまへ時鳥(ホトトギス)」 も有名すぎるほど有名ですが、実はこの詩は信長自身の作ではありません。


当時、詠み人知らずで伝わった歌の引用で、信長の性格というよりも その自他を含めた生死を見極める決断力や気概を評価した歌であったようです。

鉄砲を戦に持ち込んだことからも分かるように南蛮品を好み、晩年は戦場に赴くときも、 南蛮鎧を身に付けていたといわれています。
更に、黒人に興味を示してイエズス会の宣教師より譲り受け、 彌介(やすけ)と名付け側近にしたとの史実があります。


時折耳にする【第六天魔王】のあだ名は、 武田信玄が送った書状に『天台座主沙門信玄』と記してあったため、 返書として『第六天魔王』と署名した手紙を送ったというものから。

多くの人がご存知のように、桶狭間の戦い以後、数々の武勲を挙げた織田信長でしたが、 目指していた天下統一を成し遂げることなく、本能寺の変で明智光秀の謀反に遭い、 自害したとされています。
ただし、城の焼け跡から遺体が見つからなかった為、別の場所で自害した説もあります。