密教の根本教典が有名なのは「大日経」(正式名称を「大毘廬遮那成仏神変加持経」)と 「金剛頂経」(正式名称「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」)の2つです。 通常、仏教の教典は仏陀である「釈迦」が説法したものをまとめたものですが、 密教教典の大きな特徴は教典の説き手が「大日如来」であることです。 その「大日如来」の本質と活動を示しているのが、金剛界、胎蔵界、二つの曼陀羅です。 「大日経」が世界に生きる者は「大日如来の理性」において、平等である世界-胎蔵界を明らかにしているのに対し、 「金剛頂経」では大日如来の知恵の世界-金剛界を明らかにしています。 その悟りの内容を具体的に示したのが曼陀羅です。 また、曼陀羅は諸尊を種子(梵字)一字で表したものもあり、そういう意味では教典も曼陀羅の一種とみなされます。 曼陀羅の世界を体得する悟りの境地とは、即身成仏です。 荒行を積んだ行者が「阿闍梨」の許可を得て、三密の行(身体・言語・精神)に入ります。 本尊の前に座し、手に印相を結び、口に真言を唱え、精神を集中させて本尊を観想し両者が一体に解け合うまで修行します。 そのようにして行者は、父母から受けたその身体のままで、現世において悟りを得ます。 すなわち、即身成仏です。 その過程の多数の瞑想の中で梵字を利用した瞑想「阿字観」があります。 阿字観とは、梵字の阿字を観想し、阿字の中に我有り、我の中に阿字ありといったさまざまな観点から瞑想を行う修行です。 「阿字」とは・・・・・生まれてないもの、生まれなきもの、つまり他者によって生み出されたものでもなく、 また自己によって生み出されたものでもない時間も空間も超越した存在を表す梵字です。 よって「阿字」はあらゆる梵字を代行する事ができる梵字です。 阿字観の修行を一歩進めて「阿字」を心の中に観じた後、 この阿字を変化させ自分が思い描きたい仏の種子(梵字)に変化させて行きその梵字を通じて、 おのおのの仏について観想するこれが悟りの境地(三摩地)に導かれて行くのです。 また、「阿字観」を始める前に「九字」と呼ばれる邪念を祓う技法があります。 「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の真言を唱えつつ、すばやく印相を結びあるいは、 手刀により空間を縦横に切り邪を祓います。 その他お馴染みの「護摩」「祈祷」「不動金縛り」などの修法があります。 すべての宗教にとっての最も重要なテーマが「煩悩をどう扱うか」である。 密教では人間的な欲望もまた宇宙生命につながるものとして、全面的な否定はしません。 煩悩を含んだこの現実世界のすべてを肯定しその中に理想形態を見出し、 現実世界の中に絶対の世界を実現するのが密教の理想なのです。 |